姫路・広畑のSC(ショッピングセンター)「グリーンモール」(姫路市広畑区東新町1)が3月20日、開業以来半世紀の歴史に幕を下ろし閉店する。
同SCの開業は1963(昭和38)年。入居する店舗などでつくる協同組合が運営する「寄合百貨店」業態をとる。当初「ショッピングセンターニューヒロハタ」を名乗り、後に「グリーンモール」へ改称。建物はスーパーマーケット「銀ビル広畑店」とつながる鉄筋コンクリート造りの2階建て(一部4階)で、敷地を有効活用するため3階には立体駐車場を整備。マイカーでの広域集客も視野に入れるなど、自家用車保有率が3.7%(警察白書より)にすぎなかった当時としては画期的な設備を誇った。
1972(昭和47)年にかけての高度成長期には、自家用車保有率が34.6%と約10倍に伸びる中で業績も好調に推移。隣接地には同様の立体駐車場を備える「ジャスコ広畑店」が進出したほか、周辺には「壽産業ビル」や「米田ビル」といった下層階に店舗を置く複合ビルも集積し、同SCと併せて商店街「広畑センター街」を形成。ジャスコと共に、富士製鉄(後の新日本製鉄、現在は新日鉄住金)広畑製鉄所の企業城下町「鉄の都」として繁栄を誇る広畑地区のランドマークとして君臨した。
「鉄景気に湧く同地区には、比較的高収入の家庭が多かったこともあり、高額品も飛ぶように売れた。幹部社員の『奥さま』からの求めに応じて、流行の商品は東京まで出向いて買い付けていた」と、2002年まで入居していた同SCの関係者。「同製鉄所や関連会社は九州での求人活動を盛んに行ったことから、顧客には同地方出身者も多かった。八女茶や嬉野茶、麦みそ、辛子めんたいこ、高菜漬けといった同地方ならではの食材を取り扱う商店もあった」と当時を振り返る。
昭和後期から平成にかけては、同製鉄所の整理縮小による人口減や競合SCの台頭もあって競争力が低下。2002年にはテナントの大多数が退去し、建物の西半分を取り壊して平面駐車場などに転用した。銀ビルとジャスコも相次いで撤退。周辺の複合ビルでも空き店舗が目立つようになるなど、「センター街」は昔日の面影を失った。
同SC内では現在、靴店「てつや」と宝飾・時計・眼鏡店「富屋」、精肉店「大成」、「中尾薬局」の4店が最後まで営業。「鉄の都」の盛衰を見守り続けた半世紀の歴史に幕を下ろす日を待つ。
「これも時代の流れ。1970(昭和45)年に九州の筑豊(福岡県)から移り住んだ新婚当時は、目を見張るほどにぎやかだった。『都会暮らしを満喫しています』と同級生へのはがきで自慢したもの」と買い物に訪れた諫山みぎ枝さん。担々麺とジャンボギョーザ店「御座候」やジーンズ店「Fuji(フジ)」、玩具店「つちだ」など当時のテナントを懐かしげに挙げながら、「店内に設けた『流れるプール』に船を浮かべ、注文したメニューを載せて座席まで届ける飲食店もあった。子どもたちも気に入っていた店だが、どうしても屋号が思い出せない…私も年を取ったものだ」と話し、目をしばたたいた。
営業時間は10時~19時(最終日は17時まで)。